祖母のこと
「丁寧に暮らす」
「すっきり暮らす」
最近そういう言葉が流行っている気がする。(一部からは微妙に思われてるし、それもわからんでもないけど)
丁寧な暮らしは到底できないけどすっきりは暮らしたい。
そんなことを思うようになったのは、祖母と母の影響が大きい。
祖母の話をする。
私の祖母は丁寧ですっきりした暮らしをしていたように思う。
家はいつも掃除が行き届いており、朝早くから活動し、梅干しやぬか漬けなどを仕込み、料理は上手く手が込んでおり、物知りで、死の間際まで読書と学習を欠かさない人であり、背筋はぴんと伸びて、良く歩き、字は綺麗で、近くに住んでいるのに孫の私に定期的に手紙をしたため、入れ歯も白髪もなかった。
もらい子だったという。親となった人はとても厳しかったそうだ。きちんと育ててもらったことに対して感謝を口にしていたが、とても苦労してきたんじゃないかと思う。
母を産んでからも働き続け、あまり構ってあげられず厳しくしてしまった贖罪か、私はとても甘やかされた。
色んな所に連れて行ってくれ、色んな思い出を共有した。
母から見た祖母は多分また違うのだろうけど、私にとっては優しくてひょうきんで博識で、たまに出る奔放さに少し困らせられたおばあちゃんだった。
いつしか私が死という概念を自覚しはじめ涙したとき、死んだら現れる約束をしてくれた。約束を果たしてくれたかは私と祖母だけの秘密だ。
いつしか私が不登校になったとき、夏休みに何も言わずに滞在させてくれた。
(西の魔女が死んだを読んだら泣くよね)
純粋な感性を持ちながら自分の死はしっかり見つめ、遺影も死装束も早くから完璧に用意していた。
田舎の道端に咲いていたふきのとうをはしゃぎながら採取して喜ぶ姿は少女のようであったが、その後美味しく味付けされた料理は主婦としての経験が成せるものだった。
40代で乳がんとなり、その後は胃がん、大腸がん、肺がん、病と戦い続けていた。
それでも煙草も酒もやめないでいる弱くて強い人だった。
ちょっと抜けているところやあっけらかんとしたところがあり、それが愛嬌だった。
とにかく大好きだった。
私の自慢の祖母である。
私は部屋をぐちゃぐちゃにするのが得意で片付けられない子供だった。
「ちゃんとお部屋を片付けられますように」と手紙に書いて送ってくれた祖母。
時間はかかったけどお部屋を片付けられる女になりました。そのことはまた書く。
ちなみに母も祖母の遺伝子を引き継いで丁寧にすっきり暮らしている感じのでわたしにもそういう遺伝子が流れている…はず。母のインスタめちゃくちゃお洒落で震える。