祈りと救いについて
久しぶりの更新。月一くらいで続けていきたいなあと思っていたが多分無理そう。
ポーマニやら練習やらの経過をあげるのが物凄く億劫なので多分物凄くたまに経過を載せるくらいにするかもしれない。
練習はそこそこにゆるやかにしている。最近サボっている。
今日はとても抽象的な話をする。
抽象的というか、私の語彙力がないから抽象的になってしまう。
「祈り」「救い」
このモチーフがすごく好きだ。
美しい言葉だと思う。
祈りという行為が尊い。なにかの為に祈るその感情がいとおしい。
救いという概念が尊い。癒しの最上級に位置する事象ではないかと感じる。
好きというのは少し語弊があるかもしれない。弱い、とか、ツボ、とか、惹かれる、とか、に近いのだけれど、それとも少し違う気がする。
信仰からくる祈りや救いもいいのだけれど、どちらかというと宗教的なものではなく、行動の裏に隠れている、誰か一部にとっての救いとか祈りがいい。
そしてやりようによってはどの話にもこじつけられるテーマであるのがいい。
物語から救いとか祈りとかを(時には飛躍して)解釈するのがいい。
「この子は今祈ってるんだ」と思いながら描くイラストもある。
手を合わせてなくとも彼女がなにかの為に祈っているという前提で描いた。
この構図で12枚、祈りをテーマに描きたいと思っている(そして4ヶ月経っても1枚しかできていないという体たらく)。
祈りや救いに似たものとして「赦し」がある。
ただ赦しはハードルが高い。個人的に、赦しはどうしても他者が登場する。自分を赦すのにも赦す自分という俯瞰視点のもう1人の自分を作らねばならない(気がする)。心理的に重いというか、赦すのってすごく色々経てのことだから。2次元でもキャラクターの赦しにはさすがに関与できない。
プロメアを観た。
すごくいいアニメだった。
熱くて泣けた。(熱い展開に涙がでてくるときない?)
そして救いがあった。めちゃくちゃ泣いた。
勘違いかもしれないけど、当事者が救われたのならそれはちゃんとした救いだ。勘違いでも全然いいのだ。
ガロは視聴者も救ってくれた。
こういう物語がとても好きだ。
わたしの好きな救いはこういう救いなんだな。
この手の救い、君の名は。でもあった。
秒速を観ていた勢の一部にとってあのラストはめちゃくちゃ救いだったんじゃないかと思う。
実際私は全て報われた気がした。